ドラマ「silent」のロケ地巡りと古着と本と私

この記事は Asuka さんから寄せられた「言葉の寄付」です。

寄付された画像
学生時代は古着を目当てによく通っていた下北沢。社会人になってからは少し足が遠のいていたけど、ドラマ「silent」にハマってロケ地巡りをしたことをきっかけに、また下北沢へ行くようになりました。

世田谷代田駅を降りて散歩するときはCody・Lee(李)さんの「世田谷代田」という曲が私のテーマソングです。ちなみにHONKEにある黒い小さなラジカセですが、古いものと思いきやBluetooth対応でびっくりしたことを思い出したことも、この記事のこの画像をチョイスした理由です!(笑)

ロケ地巡りで久しぶりに歩いた下北沢は、緑がすごく増えていてびっくりしたことを覚えています。考えごとをしながら散歩するのに、今のシモキタは本当にぴったりなんです。

そんな散歩の途中で、ふと目に留まったのがピンク色で「本」と書かれたのれん。何だろうと思い近くのベンチに座ってググってみたら図書室ということが分かり、緊張しながら入室したのが、私とHONKEとの最初の出会いです。

散歩しながら街の変化を感じるだなんて私も歳をとったなぁと思いながら、「下北沢にはどうしてこんなに古着屋さんがあるのか」とか「どうやって今の緑の多い下北沢になったのか」について気になりはじめました。そこでAIで調べたらおお!っとなったので、その歴史を少し紹介したいと思います。

まず、下北沢が「古着の街」になった原点は、第二次世界大戦後の闇市だということ。駅前にできた小さなお店が密集する細い路地が、区画整理を免れてそのままの形で残ったことで、個人経営のお店が集まりやすかったらしいです。

そして、下北沢といえば演劇。1981年に本多一夫さんがご自身のアパートの一部を改装して「ザ・スズナリ」を開場。(アパートスタートはHONKEにも繋がるストーリーですね!)1982年には「本多劇場」がオープン。小さなステージからスタートして、実力をつけたら大きなステージへ駆け上がっていく。夢を追う若者たちがこの街だけでどんどんステップアップできる環境が生まれたことで、下北沢のカルチャーとしても根付いていったそう。

それは音楽でも。1975年の「下北沢ロフト」、1986年に「下北沢屋根裏」、1991年に「下北沢SHELTER」と、数々の伝説的なライブハウスが誕生していき私の青春にもなる下北沢が誕生していました。

そんな下北沢で2004年からはじまり、今も続く小田急線の地下化工事。「開かずの踏切」として長年悩みの種だった線路が2013年3月に地下化され、大きな空き地ができました。そこに緑溢れる遊歩道や個性的なお店ができたのが今の新しい下北沢です。

なかでも商業施設「BONUS TRACK(ボーナストラック)」には、私の好きな本屋さんがたくさん集まっています。ライブハウスや小劇場が若者たちを熱狂させ、この街のカルチャーを育ててきたように、今は「本」もまた下北沢の文化の一部になりつつあるのかもしれません。

もしそうだとしたら、その変化の途中に立ち会えている私は、なかなか幸せ者なのではないでしょうか!

私は、これからもきっとシモキタに通い続けると思います。途中下車をして、街を歩いて、少し肩の力を抜く。

そして降り立ったときには、HONKEでまた素敵な時間を過ごしたいと思います。
■ 著者名 / ペンネーム: Asuka

この言葉にチップを贈る

この記事は、HONKEの想いに共感した書き手から、この場所を維持するための「言葉の寄付」として寄せられたものです。

もし、この文章を読んで心が動いたら。この拠点を守り、本の活動を続けていくための支援をいただけると幸いです。

いただいた温かいお気持ちは、全額HONKEの空間維持費として大切に活用させていただきます。